私はもっと自由でいたい――幼少期の記憶と、今も続く“自分の抑圧”
【私はもっと自由でいたい――幼少期の記憶と、今も続く“自分の抑圧”】
こんばんは。「だれか聞いてよ」に、今日も来てくださってありがとうございます。
今日は少し、心の奥にずっと沈んでいた“自分を抑えてしまうクセ”について、正直な気持ちを書かせてください。
◆ 気づけば、また子どもの頃の記憶に戻っていた
私はいつまで、子どもの頃の記憶を引きずっているのだろう――
そんなふうに思うことがあります。
もう50代も後半。
ずいぶん時間が経ったはずなのに、
いつまで経っても抜け出せない感覚が、確かにあるのです。
それは、思い出そうとしたわけでもないのに、
ふとした瞬間に――誰かの言葉、表情、態度――
その一つで、記憶の底から静かに浮かび上がってくる。
「また、自分を抑えてるな…」
そんな自分に気づいて、ため息をつく日もあります。
◆ 本当は、もっと自由にふるまいたいのに
本当は――
もっと本心と向き合いたい。
やりたいことを、好きなようにやってみたい。
自分の気持ちを、ありのままに伝えてみたい。
相手の顔色を伺うのではなく、
「私はこう思うんだよ」と、素直に言える自分でいたい。
本当は、もっともっと“自分らしく”ふるまいたいんです。
でも、現実には、
そんな自分を押さえ込んでしまう“もう一人の私”がいます。
◆ 「嫌な顔をされないように」ばかりを考えてしまう
誰かと接するとき、頭に浮かぶのは、
「どうしたら怒られないかな」
「どう言えば機嫌を損ねずに済むかな」
「これを言ったらまた嫌味を言われるかも」
そんな“不安”ばかり。
本来なら、
「どんな言葉をかけたら相手は嬉しいかな」
「どうやって気持ちよく過ごしてもらえるかな」
――そういうやりとりをしたいはずなのに。
気づけば、“怒らせない”ための言動しかできなくなっている自分がいます。
◆ 一番近くにいるはずの人と、なぜこんなにも遠いのか
本当なら、家庭の中では心を開いて話したい。
「今日はこんなことがあってね」
「ちょっとつらいんだけど聞いてくれる?」
そんな何気ない会話ができたら、どんなに救われるだろう。
でも実際には、ほんの少し自分の気持ちを口にしただけで、
返ってくるのは冷たい言葉の数々。
「お前は頭がおかしい」
「そんなの正常じゃない」
「狂ってる」
言葉の刃が、容赦なく心を切りつけてきます。
◆ 「違う意見」は、受け止めてもらえない
会話を試みようとしても――
返ってくるのは「こうじゃなきゃダメだ」
「これは間違ってるか?」「そう思うだろ?」という“押しつけ”ばかり。
もし私が少しでも「違うと思う」と返せば、
返ってくるのは、大きなため息と“無視”。
それはまるで、
「お前の意見なんて、存在しない」と言われているようで。
私は、また口を閉ざしてしまうのです。
◆ こんなの、全然WIN-WINじゃない
一方通行の思考。
一方的な価値観の押しつけ。
そして、無視という沈黙の暴力。
これは、決して“対等な関係”じゃない。
“家族”と呼ぶには、あまりにも苦しい関係です。
なのに、それでも私はそこにいる。
黙って、やり過ごして、
また自分の気持ちを押し込める。
◆ それでも、こうして言葉にしている自分がいる
今日もまた、言いたいことを言えなかった。
気持ちを押し殺してしまった。
だけど、今――
こうして私は、自分の気持ちを“文字にして”います。
言葉にして、書き出して、
「本当はこう思っていたんだ」と認めることができた。
それは、きっと小さな希望。
誰にも見えないけれど、私自身が“自分を救うため”にしている大切な行動。
◆ 明日は、楽しいことを考えてみたい
今日は、またモヤモヤとした気持ちを綴ってしまいました。
でも、いいんです。
それでも、自分の気持ちに正直になれたことを、
少しだけ褒めてあげたい。
そして明日は――
少しだけ楽しいことを考えてみようかな。
小さなことでも、心がほっとするようなことを。
◆ 次回の予告
次回は、昔夢中になっていた小さな趣味の話をしたいと思っています。
気分転換に、ちょっとだけ心が温まる話を。
🧡 つらい時も、心がゆるむ場所を持ちたいあなたへ
今日も読んでくださって、本当にありがとうございます。
どうかあなたの心が、少しずつでも“自由”に近づいていきますように。