だれか聞いてよ

~思いのままに生きていく~

私は“ついで”じゃない――兄と私、そして“私らしさ”への道のり

【私は“ついで”じゃない――兄と私、そして“私らしさ”への道のり】

こんばんは。「だれか聞いてよ」に来てくださってありがとうございます。
今日は少し、私の幼少期のことを思い返してみたいと思います。

子どもだった頃の、些細だけれど心に残っている“思い”――
それは、今の私にもつながっている大事な感情かもしれません。


◆ 3歳上の兄は、家族にとっての“スター”だった

私には、3歳年上の兄がいます。
長男、初孫。
だから、母にとっても祖母にとっても、彼はまさに“特別な存在”でした。

実家に遊びに行くと、
まず玄関で聞こえてくるのは、祖母のこんな声。

「○○くん、いらっしゃい!」
そして少し間を置いて、
「●●ちゃんも、よく来たね~」

もちろん、あたたかい歓迎の言葉だったのかもしれません。
でも、私は“ついで”のように扱われているような気がして、どこか心にぽっかり穴があくような感覚がありました。


◆ 「私はいなくても変わらないんだ」って、思い込んでたのかも

今になって思えば、それは私の“思い込み”だったのかもしれません。

もしかしたら、ちゃんと平等に接してくれていたのに、
当時の私は、母がこぼす愚痴や言葉の影響をそのまま受け取ってしまっていたのかもしれない。

「どうせ、あんたはいつも二の次なんだから」
「おばあちゃんは、あの子ばっかり可愛がる」
――そんなふうに、母が話していたのを覚えています。

子どもの私は、母の言葉を“真実”として受け取ってしまった。

「私はいなくても、誰も困らないんだ」
そんな思いが、心の奥に根を張り始めたのは、きっとその頃からだったような気がします。


◆ 話し上手な兄、人付き合いが苦手な私

兄は社交的で、誰とでもすぐに打ち解けるタイプ。
冗談も上手で、おしゃべりも得意。
先生や親戚の人たちとも、自然と仲良くなる姿を何度も見てきました。

一方の私は、話すのが苦手で、内向的で、できれば静かに過ごしていたいタイプ。
大勢の中に入ると、居場所を見つけられずにそっと隅っこに行ってしまうような子どもでした。

だから、誰かが兄を褒めているのを見るたび、
「やっぱり、あの子の方が可愛いんだ」
「私は目立たないし、つまらない子なんだな」って、
どんどん“自分を否定する気持ち”が強くなっていったのかもしれません。


◆ でも、私は“母とは違う自分”になりたかった

母は、ものすごく悲観的で、
誰かが自分を大切にしないと、「キーーッ!」と怒りを爆発させてしまう人でした。

自分を認めてほしい、愛されたい。
その想いが強すぎて、周りとの関係を壊してしまうこともしばしば。

そんな母を見て、私はいつの間にか“反面教師”にしていたのだと思います。

「私は、あんなふうになりたくない」
「人は人、自分は自分」
「誰かに振り回されず、静かに暮らしたい」――

心の中で、そう何度も自分に言い聞かせていました。


固定観念が、年齢とともに強くなっていた

そんなふうに“我慢”と“割り切り”を続けてきた私。
でも、年齢を重ねるにつれてふと気づいたんです。

「あれ? 私、ちょっと考えがカチコチになってきてるかも」

“人はこういうもの”
“私はこうだから、仕方ない”
そんな言葉を無意識に使うようになって、
逆に自分自身を苦しめてしまっていたような気がします。


◆ もう少しだけ、力を抜いて生きていきたい

きっと私は、これまでずっと
「ちゃんとしなきゃ」
「愛されなきゃ」
「比べられないようにしなきゃ」って、肩に力を入れて生きてきたのかもしれません。

でも今は、もう少しだけ力を抜いて、
「私は私で、いいじゃない」って思えるようになりたい。

人と比べることも、期待に応えることも手放して、
“ぬくぬく”と心地よく生きていけたら――
それが今の私の、ささやかな願いです。


◆ 今日のまとめに

兄と私。母と私。
誰かとの“比較”の中で生まれた心の影。

でも、それを今こうして振り返って、
「私は私」と思えるようになった自分がいることを、
少し誇らしく思いたいです。


◆ 次回の予告

次回は、「“人との距離感”について思うこと」――
人付き合いが苦手だった私が、どんなふうにバランスをとってきたかについて、少しずつ言葉にしてみようと思います。


🌿 比べずに、あなたらしく生きるヒントを一緒に見付けていけたら◎
今日も最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
あなたの心が、今日も少し穏やかになりますように。