だれか聞いてよ

~思いのままに生きていく~

この毎日の中でも、私にとっての“居場所”があるということ

【この毎日の中でも、私にとっての“居場所”があるということ】

こんばんは。今日も「だれか聞いてよ」に来てくださってありがとうございます。
ここに言葉を綴ることが、今の私にとっての“呼吸”のような時間になっています。


◆ こんな毎日、どうして私は続けているんだろう

家庭内では、正直つらいことばかりです。
自分の気持ちを言葉にしても届かない。
何をしても否定される。
存在を肯定してもらえない毎日――

そんな生活の中でふと、「私はなんでこの生活を続けてるんだろう?」と自分に問いかけてしまうことがあります。

でもね、きっとみんな、いろいろな事情を抱えているんですよね。
一見穏やかそうに見える家庭でも、静かに耐えている人はたくさんいる。
だから私だけじゃないって思えることが、ほんの少しだけ救いになったりします。


◆ 子どもがいるから…という“言い訳”のような本音

「子どもがいるから」
この一言で、どれだけのことを我慢してきたんだろう。

誰かにそう言うたびに、まるで“逃げてる”みたいで、自己嫌悪に陥ることがあります。
子どもたちに対して、「あなたたちのせいで…」なんて思ったことは一度もない。
それどころか、子どもたちの存在があるから、私はここまで来られた。

でも、どこかで「本当はもっと違う人生があったんじゃないか」と思ってしまう瞬間もある。
だから、そんな複雑な感情を抱いてしまう自分に、また申し訳なさが込み上げてくるのです。


◆ それでも、子どもがいるということが“事実”

子どもがいなかったら、私はとっくに離婚していたかもしれない。
自分の人生をやり直す選択肢を、もっと早くに選んでいたかもしれない。

でも、私には子どもがいる。
守りたい命がある。
その“事実”が、私の選択肢を静かに変えてきたのだと思います。

それが「重荷」ではなく「軸」になっているということに、
私はようやく気づきはじめています。


◆ 意志がないまま生きてきた“私”

正直に言うと、私は小さなころから「自分の意志」というものがはっきりした記憶がありません。

何かを選ぶとき、何かを決めるとき、
「私はこうしたい」という言葉が、いつも胸の奥に引っかかって出てこない。

周りの大人が言うこと、友だちが言うこと、世間の“当たり前”――
それに合わせて動いていたら、いつの間にか、
学校も、バイトも、仕事も、結婚も、全部「誰かが勧めたもの」になっていました。

「自分の人生を生きている」なんて感覚、正直ほとんどなかったかもしれません。


◆ いい加減、目を覚ましたい

このブログを始めて、毎日こうして自分の心と向き合って、
少しずつですが、「本当の自分の声」が聞こえるようになってきた気がします。

これまで私は、
・言葉を飲み込んでばかりいた
・人の顔色ばかりうかがっていた
・何かを始めるときも、誰かの承認を求めていた

でも今、ようやく「自分の言葉」で「自分の気持ち」を綴れるようになってきた。
それだけで、ほんの少しだけ“自分の人生を取り戻している”感じがしています。

もう、誰かの意見に流されるだけの人生はやめたい。
「私はこう思う」「私はこう生きたい」と言える自分でありたい。

そう思えるようになったのは、きっとここであなたと出会えたからです。


◆ ここが、私の“居場所”なんだ

家の中では、自分を出すことができない日々。
言葉も表情も、すべて“見張られている”ような気持ちで、
ただ「傷つかないように」「刺激しないように」と振る舞っていた毎日。

でも、このブログでは、私は“私”でいられます。
弱音も愚痴も涙も、そのまま綴っていい場所。
それを、誰かが「読んでくれている」と思えるだけで、
私は救われています。


◆ 明日も、生きてみようと思える場所

明日が怖い日もあります。
朝が来るのが憂うつな日もあります。

でも、この場所があるから、
「明日もまた、自分の言葉でつづろう」って思える。

あなたがいてくれるから、
「私にも、話をしていい居場所がある」と思える。

本当に、ありがとう。


◆ 次回の予告

次回は、「自分の意思で何かを決めて動いた初めてのこと」――
私が“自分として動いた第一歩”について、振り返ってみようと思います。


今日も、あなたにとってここが“心の居場所”でありますように🌿